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キャリア・生き方
2022年03月25日

日本企業から外資系企業へ転職後、がんに罹患。闘病経験を活かし希望を届ける支援団体を設立

WOW WORLDがスポンサーを務める『森清華のLife is the journey』(かわさきエフエム)は、パーソナリティの森清華さんが、最前線で活躍されている企業経営者や各界のスペシャリストの“人生の分岐点”から、「これからのキャリア、生き方のヒント」を紐解いていくラジオ番組です。今回はゲストに、がん患者支援団体「認定NPO法人5years」理事長の大久保淳一さんをお迎えしました。三菱石油株式会社にて約6年勤務した後、留学してMBAを取得。1999年にゴールドマン・サックス証券株式会社へ転職しました。2007年にがんを発症し、「5年生存率20%以下」と言われるも一命を取り留め、翌年同社に復職し2014年まで在籍。現在、5yearsで多くの患者とその家族を支えている大久保さんに、命と向き合う瞬間に感じたことや、今後実現していきたいことを伺いました。

5years 大久保淳一さん

※『森清華のLife is the journey』は、かわさきエフエム(79.1MHz)にて毎週水曜日 午後9時~9時30分オンエア。このコーナーでは、その中から月に1本、当社が選定した回を一部抜粋してテキストでご紹介します。

【キャリアのスタート地点】「実力主義の世界で試したい」日本企業を退職し、外資系企業へ転職

大学卒業後、三菱石油株式会社で勤務していた大久保さんは、「実力主義の世界で自分の力を試したい」と退職し、留学を経てゴールドマン・サックス社に転職。これまでとは全く違う、金融のデリバティブ取引(※)のマーケティングや営業などの仕事にチャレンジします。
※デリバティブ取引:通貨、金利、債券、株式などから派生した金融商品(金融派生商品)

森さん 最初のキャリアは、どのようなところからスタートされたのでしょうか?

大久保さん 大学院を卒業して、1991年に三菱石油に入ったのがスタートです。そこでは二つの仕事を経験しました。一つは石油化学品を化学会社に売る営業の仕事。もう一つは、タイでジョイントベンチャーを作る仕事に携わりました。

森さん そのようなお仕事をされながら6年間ご経験を積まれた後、MBA留学をされたそうですね。いったいどのような想いがあったのでしょうか?

大久保さん 「もっと実力主義の世界で試してみたい」という気持ちが非常に強くなったのです。1990年代は転職がメジャーでない時代でしたが、会社を辞めて留学し転職する友人をみて、このようなキャリアパスがあることを知り、思い切って飛び込みました。

森さん 留学を終えた後、ゴールドマン・サックスに転職されたそうですね。外資系の証券会社ということで、これまでと全く分野が違いますし、日本の企業から外資系企業へと、働く環境も大きく違いがあったと思います。

大久保さん 転職した当初は驚きましたね。以前の会社は、いわゆる日本式経営をしていたような会社だったのですけれど、ゴールドマン・サックスは、本当に「Theアメリカ式経営」みたいな組織でしたから、今まで自分が慣れ親しんでいたことは何一つ通用しなくて。野村証券やモルガン・スタンレーに勤務していた人が転職してくる会社なので、私のキャリアは何も戦力になりませんでした。本当に一生懸命勉強していく中で、自分なりに考えたことや思ったことを商品化したり、サービス化したりしていました。

【人生の分岐点】がん最終ステージと宣告され、命と向き合う瞬間に感じたこととは

ゴールドマン・サックス社に入社して8年後、42歳だった大久保さんは、精巣がんと宣告されます。5年生存率20%以下と言われ、厳しくつらい治療をする中、命と向き合いながら感じたことや、希望を与えてくれた存在とは?

森さん 新たな分野の勉強もしながらキャリアを築いてこられる中、分岐点となる場面を迎えられたとのことですが、いったいどのようなことがあったのでしょうか。

大久保さん 42歳のとき、精巣がんを患いました。告知される1カ月前にフルマラソンの大会に出場したほど元気だったので、まさかこんなことになるとは思わなかったですね。まだ子どもも6歳と9歳と幼く、驚きと不安でいっぱいになりました。

森さん 42歳でまさに働き盛りの頃に突然、ということですよね。

大久保さん そうですね。告知されたときは、がんがお腹や肺、首にまで転移していて「5年生存率20%以下」と言われました。10カ月入院治療をした後、さらに8カ月自宅療養をするという、本当に体力も筋力も全部なくなるような状況でした。

森さん そういったご経験をされて、命と向き合う瞬間というのは、何を一番思い、感じていたのでしょうか?

大久保さん その瞬間は、もう「今日一日を乗り越える」ことしか考えていないですね。ただ、死を本当に受け入れないといけないようなときも何回かありまして、「自分はこれまで、大切な人たち、家族のために正しく生きてきたのかな…。家族が本当に父親や夫を必要としているとき、どれだけ力になってこられたのだろう」と、反省ばかりしていました。

森さん 本当に厳しい治療をされながら大変な時期を乗り越えてこられたのですね。その後、治療をしていくにあたって支えとなったのはどのようなことでしょうか?

大久保さん 私は運がよくて、ロールモデルがいました。アメリカ出身のプロのサイクリストが私と全く同じ病気で同じ進行度だったのですが、彼はツール・ド・フランスに復帰して、個人総合優勝までしているのです。私は、「がんを患ったら人生下り坂になるんじゃないか」と当時思っていたのですけれど、そうではなかった。「さらなる高みに登って行くことだってできる」と示してくれた先人の存在が、非常に心の支えになりました。

【実体験を活かした支援活動を開始】がん患者さんが希望を持てる情報や仕組みを届けたい

大久保さんは現在、自分の経験を活かし、認定NPO法人5yearsで、がん患者とその家族の支援活動をしています。活動内容や、がん患者が社会復帰するために必要なこと、今後目指していることなどを伺いました。

森さん 大久保さんは、現在どのようなお仕事をされていらっしゃるのでしょうか?

大久保さん 認定NPO法人 5yearsで、がん患者さんの支援活動をしています。自分の経験をもとに、がん患者さんに必要なのは「希望、仲間、体験情報」の三つだと考え、ネット上にコミュニティを立ち上げました。病気を乗り越え社会に戻った人たちを多数紹介するなど、がんの経験者やその家族が希望を持てるような情報や、社会復帰につながるような情報を共有していくインフラを作っています。今頑張っている人たち同士でつながると、今日一日を乗り越える力をもらえるのです。

森さん 大久保さんは、がんの治療後ゴールドマン・サックスに職場復帰されたそうですね。がん患者さんが仕事と治療を両立していく中で、周囲の方々や組織の関わり方として「こうあってほしいな」「ここが大事だ」と思われるのは、どのような点でしょうか?

大久保さん ゴールドマン・サックスは、ダイバーシティが本当にしっかり根付いている会社ですので、みんな普通に接してくれましたね。がんになったからといって、それが不利益になることは何もなく、「大久保の仕事復帰を支えたい」という周りの姿勢がよく伝わってきてありがたかったです。ただ、現在がん患者さんの支援活動をしていると、そうでない組織もみかけます。組織の人たちには、ぜひがん患者さんに普通に接してほしいですし、復帰のためのサポートをたくさんしてほしいと思います。

森さん 今後、5yearsでどのようなことを実現していきたいですか?

大久保さん 今、登録者が17,000人いて日本最大級といわれていますが、5万人、10万人ぐらいの規模にして、巨大な組織にしたいですね。もっと多くの方にコミュニティを活用していただきたいと思っています。

【背中を押すメッセージ】人生にはいつでも何度でもチャンスがある

森さん 最後に、これから自分の夢を実現しようと考えている方々へ背中を押すメッセージをお願いいたします。

大久保さん 人生にはいつでも何度でもチャンスがあります。私は、がんを患う前から100kmマラソンに出場していました。一時は死を身近に感じる状況になったものの、がんの治療後、再び「サロマ湖100kmウルトラマラソン」にチャレンジし完走することができました。こうした経験からも、心からそう思っています。

『森清華のLife is the journey』
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