取り組み・活動

キャリア・生き方
2022年11月28日

30歳でじゃらんの編集デスクから音楽家の道へ。「みんなが幸せになれる世の中をつくる」ために

WOW WORLDがスポンサーを務める『森清華のLife is the journey』(かわさきエフエム)は、パーソナリティの森清華さんが、最前線で活躍されている企業経営者や各界のスペシャリストの“人生の分岐点”から、「これからのキャリア、生き方のヒント」を紐解いていくラジオ番組です。

今回はゲストに、ニューヨークを拠点とし、世界的な音楽家として活躍される宮嶋みぎわさんをお迎えしました。宮嶋さんのキャリアのスタートは、リクルートでした。音楽家になることは、一見180度違う世界への転向にみえますが、宮嶋さん自身にとっては高校時代から持つ、ある信念に基づき選んできたキャリアだといいます。強い想いを持って歩み続ける、宮嶋さんの仕事への姿勢や人生の選択の方法について伺います。

※『森清華のLife is the journey』は、かわさきエフエム(79.1MHz)にて毎週水曜日 午後9時~9時30分オンエア。このコーナーでは、その中から月に1本、当社が選定した回を一部抜粋してテキストでご紹介します。

【キャリアのスタート地点】世界で活躍する音楽家が最初に選んだのは、リクルートでの仕事

4度のグラミー賞ノミネート、2020年NY市が選ぶ優秀な女性芸術家94組のひとりに選ばれるなど、世界で活躍する宮嶋さんに、音楽との出会いとリクルートへの就職を決めた想いを伺いました。

森さん そもそも音楽との出会いは、どのようなところにあったのでしょうか?

宮嶋さん 3歳から母にピアノを習い、5歳からはレッスンに通いました。もともと母はオペラシンガーを目指していて、歌い手として非常にいい声を持っていたのですが、第二次世界大戦後の混沌とした時期、家庭の事情などから、留学を諦めざるをえませんでした。このことから、自分の子どもがやりたいことは真剣に応援したいと思っていたようです。

森さん そのようなご経験もあって音楽家としての道を、というところですが、実は最初のキャリアは、リクルートでのお仕事だったのですね。なぜリクルートに入社しようと思われたのでしょうか?

宮嶋さん 高校生のときに、世の中には幸せな人と、幸せになりたいと思っているけれど、なぜか幸せになれていないという二種類の人がいるのでは、と気がついたのです。

みんな本当は幸せになりたい、幸せになろうと思っているはずなのに、そうでない人がいる。なぜこのような世の中になるのだろう、どうして誰も防げないのだろう、と興味を持ち始めました。そこから、「どうしたらみんなが幸せになる世の中が作れるのだろうか」という探求が始まったのです。

その世の中を作るにはやはり教育かなと思い、大学は教育を専攻しました。幸せは人によって違うので、それぞれが自分で自分のことを幸せにできるようになれば良いと考え、心理学や教育について学んだのです。

就職活動をする中で、リクルートは私が一番理想としている、「世の中の一人ひとりが自分を幸せにするための手伝いをする」ことに最も近い会社なのではないかと思い、入社を決めました。

最初に配属されたのは住宅情報(現SUUMO)の部署です。人が幸せになるために、自分の条件に合った家を探すお手伝いをする仕事でした。自分の想いに合致した、とても面白い仕事でした。

【キャリアの転換】30歳でリクルートを退職し、音楽家の道へ。自分の中でブレることのない想いを胸に

リクルートでさまざまな仕事を経験し、じゃらんの編集デスクにまでのぼりつめた宮嶋さん。しかし30歳で同社を退職し、音楽家になることを決意します。その経緯や想いとは。

森さん リクルートへご入社された後、30歳で辞めるという決断をされたそうですね。この決断の背景には、どのようなものがあったのでしょうか?

宮嶋さん 新しい仕事に就いて3年ほど真剣に仕事をすると、この先どうなるかが見えてくることがあります。

幸せな人が多い世の中にするには何をすればいいのだろう、と常に考えながら仕事をしていく中で、「この仕事はもちろん世の中にとって必要だけれど、私が目指すほうには行かない」となれば、それは進む方向を変えるときなのです。

住宅情報の部署で3年ぐらい働いた後がまさにそのときで、社内の転職制度を利用して、IT部署に行きシステム開発をしました。しばらくすると、ここも違うなと感じるようになり、旅行情報誌「じゃらん」の発行や旅行予約サイトを運営している部署に異動します。

旅は人の幸せにとって重要な要素の一つだと思いますし、自分を広げるという意味でもいいと思ったからです。じゃらんで編集デスクをしていた頃は、毎月1回20万部ずつ雑誌を発行していました。

森さん お仕事は非常に順調満帆のように感じます。音楽家の道へ転向するきっかけは、どういったことだったのでしょうか?

宮嶋さん リクルートで仕事をする傍ら、アマチュアミュージシャンとして1年に2回ぐらい、自分のジャズオーケストラを作ってコンサートをしていました。私の人生の中に起きたものを書いて曲にして演奏する。ただそれだけなのですが、毎回コンサート後は老若男女関係なく、号泣しながら「明日から違う人間になれると思います。本当にありがとうございます」と、言いにきてくれるのです。

じゃらんでは20万人の方に雑誌を届けているけれど、それで社会が私の目指す方向へ変わっているかといわれると、そのような手応えはあまり得られていなくて。1年に1~2回、数百人にしか届けられないコンサートの方に大きな手応えを感じたので、リクルートを辞めて音楽家になることを決意しました。

【独学で音楽家の道を開く】一番刺激的で一番厳しく、一番成長できる場所、ニューヨークへ

音楽家として、より高みを目指すためにニューヨークへ拠点を移すことを決断。後悔なく人生を歩み続けるポイントを伺いました。

森さん 独学で音楽家としての道を切り開いてこられたとのことですが、道を確立していったポイントはどのようなところにあるのでしょうか?

宮嶋さん いろいろあると思いますが、そのうちの一つは、「必ず自分で決めた」ということです。

何の当てもなく、収入のめどやコネクションもないまま、音楽の世界にいきなり飛び込んだので、「10歳からデビューする人がいるような世界なのに、30歳から始めて大丈夫なの?」と、心配してくださる方もいました。

でも、自分の人生だから、自分がしたいことをして失敗する権利があるのです。どんなに苦労していても、「これは私が選んだ道だから」と後悔はなく、すっきりとした気持ちで進めます。

森さん そのように強い意志で前に進まれる中、拠点をニューヨークへ移されたのは、どういう意味があったのでしょうか?

宮嶋さん ニューヨークは、ジャズを勉強するには最高の場所であり、一番ライバルが集まる場所でもあるからです。自分がここにいれば、世界から次々と天才が来てくれて、その人たちに会えるという街。とても刺激的ですが、一番厳しい街でもあります。

音楽の世界で、今いるところからもっと上を目指そうとしたらニューヨークに住むしかないとわかったので、決断しました。

【音楽家としての向き合い方が変わった瞬間】東日本大震災。音楽には心を癒やす力がある

宮嶋さんが最も音楽の力を感じたのは、傷ついた人々が、歌詞や歌唱のない演奏のみの楽曲であるインストゥルメンタルを聞いて癒やされている姿を見たとき。そこから音楽家としての意識や活動が変わります。

森さん そのように道を切り開いていく中で、音楽家としての向き合い方が変わった瞬間というのはどのような場面だったのでしょうか?

宮嶋さん 「音楽ってすごい」と心から驚いたのは、東日本大震災のあとです。傷ついている方たちが、インストゥルメンタルで癒やされていたのを見たときですね。

歌詞には意味があるので、元気なときに聞いてエネルギーを出すのにはいいのですが、本当に心が弱っているときには言葉を理解しようとして頭が疲れてしまうのです。でも、歌詞のない優しいメロディーは心に染み渡ります。

家や家族を失った方たちがインストゥルメンタルを聞いて癒やされていくのを見たとき、幸せな人が多い世の中を作るにはやはり音楽が欠かせないものなのだ、とわかりました。

それからは、社会貢献という点を意識して、積極的に活動しています。

森さん そうしたさまざまな活動の中のひとつである「Samurai Jazz Project(サムライ・ジャズ・プロジェクト)」は、どのような思いで取り組まれているのでしょうか。

宮嶋さん 数年前から、 アメリカ国内では人種差別のようなことがとても目立つようになっています。

いろいろな人が混ざって、いろいろなものを一緒に作っているからこそ、新しくて面白いアイデアが出て、今までに見たこともないようなものが生まれる。そういった素晴らしいことを何度もニューヨークで体験しています。だから、アメリカが二つにどんどん分かれていく姿を見ているのはとてもつらくて。

そのようなときに、殺陣(たて)の師範の香純 恭さんと出会いました。

殺陣とジャズという全く違うジャンルのものを融合することで、「こんなにも違うものを組み合わせると、ものすごくかっこいいし、面白いし、魅力的でしょう。なぜあなたたちは人種で人を分けて別々に住んで、それが良いと主張しようとしているの」というメッセージを、言葉にせずとも見せるだけで伝えられるのではないかと意気投合し、公演することとなりました。昨年はニューヨーク市や市立大学からも助成金をいただきながら公演しており、とても好評をいただいています。

【背中を押すメッセージ】やれたらやろうではなく、やると決めて前に進む

森さん これから自分の夢を実現しようと考えている方々へ、背中を押すメッセージをお願いいたします。

宮嶋さん 準備ができる前に行動してください!

何の伝手もない中で音楽家の道を選択したこと、音楽家として高みを目指すためにニューヨークへ移住する選択をしたことが、まさにそれ。自分がやりたいことに対してベストな道や場所が見つかったなら、必ずそこに行くべきなのです。

それを、まず準備を整えてからと考え、一歩を踏み出さない方が多い。物事を考える順番をもっとシンプルに、やると決めたら前に進めばいいと私は思います。

『森清華のLife is the journey』
→アーカイブ放送は、こちらからお聴きいただけます