取り組み・活動

キャリア・生き方
2023年01月26日

結果の出ない時期を乗り越え、世界選手権優勝へ。引退後はアウトドアスポーツで地域振興を目指す

WOW WORLDがスポンサーを務める『森清華のLife is the journey』(かわさきエフエム)は、パーソナリティの森清華さんが、最前線で活躍されている企業経営者や各界のスペシャリストの“人生の分岐点”から、「これからのキャリア、生き方のヒント」を紐解いていくラジオ番組です。

今回はゲストに、有限会社スポーツハイムアルプ 代表取締役 山田琢也さんをお迎えしました。長野県木島平村に生まれ、幼少期からクロスカントリースキーのチャンピオンを目指すものの、企業所属の選手になることが叶わず、新聞社に就職します。仕事とトレーニングの両立を経てプロの道へ進み、2007年にはスキーアーチェリー世界選手権で見事優勝。引退後はアウトドアスポーツを軸とした地域振興に取り組んでいます。自分の力を最大限発揮するために大切なことを伺いました。

有限会社スポーツハイムアルプ 山田琢也さん

※『森清華のLife is the journey』は、かわさきエフエム(79.1MHz)にて毎週水曜日 午後9時~9時30分オンエア。このコーナーでは、その中から月に1本、当社が選定した回を一部抜粋してテキストでご紹介します。

【キャリアのスタート】幼少期からチャンピオンを目指してきたクロスカントリースキー。3年間のブランクを乗り越えてプロの道へ

小学生の頃から慣れ親しんでいたクロスカントリースキーの選手を目指すも、就職氷河期で叶わず。それでも諦めずに苦しいトレーニングを続け、競技人生をスタートさせます。

森さん 山田さんは、長野県北部にある木島平村のご出身とのことですが、どのような幼少期を過ごしていましたか?

山田さん 私が住んでいる地域は、冬になると体育の授業でクロスカントリーをするくらい、スキーが盛んなエリアです。小学生の頃から大学生まで、クロスカントリースキーでチャンピオンを目指すためにトレーニングを重ねていました。

森さん プロ選手の道を歩み始めるまで、どのようなことがあったのでしょうか?

山田さん 大学卒業後、選手として活動したかったのですが、ちょうど就職氷河期といわれる時期で、企業のスポーツチームがほとんど廃部になってしまったのです。マイナースポーツのスキー選手を受け入れる企業がなく、新卒で地元の新聞社に入社しました。勤務している間もレースに出ることを諦めきれず、3年間トレーニングを続けていました。

森さん アスリートにとって、その3年間とは、どのようなものだったのでしょうか?

山田さん 今振り返っても、よく途中で諦めなかったなと思うくらい大変な時期でした。ライバルたちが競技力を高めるための生活をしている中、私はフルタイムで働き、空いている時間にトレーニングをする。その生活を続けた後、プロの世界に入るというのは並大抵のことではなかったです。

2003年より、ようやくクラレの支援を受けてドイツに渡ることができました。現地のクラブチームに所属し、競技生活をスタートしたのです。

【プロの世界】海外選手とのレベルの差を感じながらも、ドイツ流の指導法で自分の滑りを追求

強豪選手がひしめくヨーロッパの競技スキーの世界。レベルの差や言葉の壁をひしひしと感じながらも、コーチとコミュニケーションを取り、自分の滑りを追求していくことを学びます。

森さん オリンピックなどを見ていると、ウインタースポーツは全般的に海外の選手が強い印象があります。その中で日本人選手が道を切り開いていくのは非常に大変だったと思いますが、どのようにしてプロの道を歩んでいかれたのでしょうか?

山田さん やはりヨーロッパの選手は強く、私自身現地に行ってレベルの差を肌で感じました。

特に違いを感じたのが、指導方法です。当時の日本ではコーチからの指導を一方的に受ける、受け身姿勢だったのに対し、ドイツではコーチと選手がコミュニケーションを取りながら、滑りやパフォーマンスを一緒に作っていきます。

森さん コーチから問いが来て、それに対して自分で考える、ということですね?

山田さん そうですね。しかも問いに答えられないと、限られた自分の時間がすぐに終わってしまうのです。外国語で伝えることも苦労しましたが、「自分はこのように滑りたい」と自ら考えて表現することが本当に難しかったです。自分の滑りに対してどう思うか、突き詰めて考えることを学びました。

【世界の頂点へ】つらい時期を乗り越えた心境の変化「良い加減」

厳しい勝負の世界で心が折れそうになったとき、心境の変化が初優勝につながります。その心境の変化とは。

森さん プロの世界で勝負していくためには、難しいこともたくさんあったのではないでしょうか。

山田さん アスリートは、レースから逆算して準備をしていきます。24時間ずっと考えているので不眠症になったり、頑張っているのにトレーニングやレースで成果が出なかったりして、非常につらい時期がありました。けれども、自分の心境が変化することで、競技パフォーマンスが良い方向につながっていったのです。

変化の一つは「良い加減」に考えられるようになったこと。全てを完璧にこなすよりも、「まあいいか、もっと楽しもう」という気持ちを持つようになったことで、コンディションが良い状態を保てるようになりました。

もう一つは、休む時間をとにかく大切にするようになったことです。休むことで体がフレッシュになり次のトレーニングやレースのときに頑張れるだけでなく、気持ちも回復してくるのです。

森さん そういった変化も感じながら、2007年に世界選手権で優勝し、頂点に輝かれたのですね。

山田さん はい。それまでワールドカップや世界選手権などの国際舞台で優勝することは一度もなかったのですが、最後のキャリアで優勝できました。そのときは自分でも、「本当に?」と信じられなかったです。ただ、そのための準備はひたすらしていたので、やはりうれしかったですね。

【セカンドキャリア】多くの人に極上の体験を届けたい。アウトドアスポーツで、生まれ育った地域の活性化を目指す

奥信濃だからこそ味わえる楽しさや体験を、さらに多くの人に届けたい。山田さんが考えるアウトドアスポーツによる地域活性化の可能性と課題、今後の夢を伺いました。

森さん 20代最後に頂点に輝いた後、引退を決断して次の道へと進まれます。セカンドキャリアについて、どのように考えていたのでしょうか?

山田さん 現役時代は競技に集中していたので、セカンドキャリアについて考える機会はありませんでした。そのため、引退後は何をしたらいいのかよく分からなかったのです。ただ、スキーのおかげで広い世界を見られましたし、地元でスキーに出会って育ててもらったという思いがあったので、世界を目指す後輩の役に立ちたいと考えていました。

森さん そうした思いを持って進まれ、現在どのような事業をされているのでしょうか?

山田さん トレイルランニング、クロスカントリースキーなどのアウトドアスポーツのレースツアーやセミナーの企画運営、農作物の生産加工販売、宿泊施設運営の3つです。

私たちが暮らしている地域は、冬になったら2メートル近く雪が積もるほどの豪雪地で、近くにコンビニなど買い物をするところもありません。けれども、アウトドアスポーツをする人たちにとっては、白銀の世界をすぐ近くで楽しめるので、極上の場所といえます。

地域のみなさんも観光客を歓迎してくださる方が多いので、実際にこのエリアを好きになって移住してくる方も、少しですがいらっしゃいます。こうした可能性をさらに広げていくために一生懸命取り組んでいるところです。ただ仕事や家がないという課題もあります。そこは行政や仲間たちと連携を取りながら整えていき、地域活性化につなげていきたいと思っています。

森さん そうした可能性と課題を抱える中で、今後どのような夢を描いていますか?

山田さん さらに多くの方に来ていただき、このエリアでアウトドアスポーツを楽しんでもらうことですね。2019年の冬から、「奥信濃のエリアとトレイルランニングが100年先も続いていくように」「多くのみなさんが楽しめるように」との思いで、「奥信濃100」というレースも開催しています。アウトドアスポーツを仕事にしたいという若者達のために、しっかり間口を広げていきたいと考えています。

【背中を押すメッセージ】休む時間を大切に

森さん これから自分の夢を実現しようと考えている方々へ、背中を押すメッセージをお願いいたします。

山田さん 休む時間を大切にしてほしいですね。これは競技を通じて、そして地域振興や自分たちの事業をする中で、今も大切にしていることです。現在、みなさんに遊びの場を提供しているのですが、私たち自身も思いきり遊び尽くすことで、良いアイデアが浮かんだり、次に向かうエネルギーを養えたりしています。

『森清華のLife is the journey』
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