取り組み・活動

キャリア・生き方
2023年05月29日

日本留学の夢を実現し二回の転職を経て日本で起業。IT技術で安全を守り、言語の壁がない世界を

WOW WORLDがスポンサーを務める『森清華のLife is the journey』(かわさきエフエム)は、パーソナリティの森清華さんが、最前線で活躍されている企業経営者や各界のスペシャリストの“人生の分岐点”から、「これからのキャリア、生き方のヒント」を紐解いていくラジオ番組です。

今回はゲストに、株式会社SanAn Connect(旧:株式会社SAN・AN、2023年4月1日より社名変更)代表取締役社長 LE AHN TUAN(レ アイン トゥアン)さんをお迎えしました。ベトナムで生まれ育ち、日本留学の夢を叶えるため地元の日本語学校へ。その後来日し、日本の大学で経済を学びますが、リーマンショック後の厳しい就職環境ゆえにITの世界へ入ります。システムエンジニア、営業を経て、千人規模の会社の社長としてマネジメントを経験した後に起業。ITを通じて安全・安心・安定を提供するとともに、日本とベトナムが国境を越えてつながるというミッションについて伺いました。

株式会社SanAn Connect LE AHN TUANさん

※『森清華のLife is the journey』は、かわさきエフエム(79.1MHz)にて毎週水曜日 午後9時~9時30分オンエア。このコーナーでは、その中から月に1本、当社が選定した回を一部抜粋してテキストでご紹介します。

【日本留学の夢を実現】ベトナムの大学に入学するも、進路変更して日本語学校に通い、日本の大学に入学

ベトナムの大学に進学したトゥアンさんは、日本に留学したいという思いを実現するため、進路変更し日本語学校に入学。厳しいプログラムを乗り越え、日本の大学に進学します。

森さん トゥアンさんはベトナム出身とのことですが、高校卒業の頃は将来についてどのように考えていましたか?

トゥアンさん ベトナムの大学に入学して公務員になり、結婚後ベトナム国内で過ごす生活を考えていました。自分の中では、日本や海外へ留学したいという願望を長い間抱いていましたが、正直なところ日本で仕事をするとは夢にも思っていませんでしたね。

森さん 日本に対してはどのようなイメージをお持ちでしたか?

トゥアンさん 当時、ベトナムにはなかった地下鉄や新幹線などもあり、経済成長を遂げて発展しているイメージを持っていました。

森さん 高校卒業後、一度はベトナムの大学に進学されたとのことですが、留学への思いを諦めきれず、日本語学校へ入学する道を選択されたそうですね。

トゥアンさん はい。ホーチミンにあるドンズー日本語学校に入学しました。ほかのベトナム国内の日本語学校とは異なり、日本語の習得だけでなく、日本文化の勉強や忍耐力向上の訓練もおこなわれている学校です。

森さん 創立者であるNguyen Duc Hoe(グエン ドゥック ホエ)氏は、なんと2020年に日本の旭日小綬章を授与されていらっしゃるということで、大変志の高い方が集まっていらっしゃる学校のようですね。

トゥアンさん 1960年代に日本へ留学した経験を持つホエ先生が、貧しい若いベトナム人に日本へ行くチャンスを与えたいという思いで作った学校です。

当時は、ほぼ毎日、朝の4時半頃に起きて大きな公園の周りを3~4周ほどランニング。その後、朝7時から夜10時まで、日本語の勉強や日本語の本を使って数学・物理・化学・社会の勉強をするという生活を8カ月間続けました。

森さん 想像するだけでも大変なプログラムですね。日本に留学されてからは、いかがでしたか?

トゥアンさん 待ち望んでいた来日の日を迎え、日本に初めて来たときは、想像していたとおり素晴らしい国だなと感じました。

ただ、私は新聞奨学生(※)として入学したので、夜中に新聞配達をしてそのまま学校に行くという生活に慣れるまで、かなり苦労しました。それを乗り越えて、日本の学生と一緒にさまざまなことを体験できたのが、最初の思い出です。

※新聞奨学生:新聞配達などの仕事をしながら奨学金を返済しつつ、大学・専門学校・予備校に通うことができる奨学金制度の利用者。

【キャリアのスタート】リーマンショック後の厳しい状況でシステムエンジニアとして就職。二回の転職で営業やマネジメントも経験

大学で経済を学ぶも、リーマンショック後の厳しい状況下で、IT企業のシステムエンジニアとして働くことに。その後二回転職し、営業職や管理職を経験します。

森さん 社会人としてのスタートは、どのような一歩から歩まれたのでしょうか?

トゥアンさん 大学では経済学やマーケティングを専攻したのですが、就活時はリーマンショック後という厳しい状況だったため、思いがけずIT企業にシステムエンジニアとして入社することとなりました。自分が思い描いていた未来とは異なりましたが、これもご縁かもしれないと思い懸命に取り組みました。

森さん ITの世界で仕事をしていく中、どのようにキャリアが変わっていったのでしょうか?

トゥアンさん その後二回転職して、それぞれ違う職種を経験しました。最初の転職ではIT企業の営業職にチャレンジし、二回目の転職では、ベトナム大手オフショア開発サービスを提供する千人規模の会社において、日本法人の社長としてマネジメントに携わりました。

森さん マネジメントする際の苦労として、どのようなことがあったのでしょうか?

トゥアンさん 一番難しかったのは、ベトナム人社員と日本人社員のコミュニケーションでした。

日本語が堪能で日本に在住しているベトナム人の社員は、日本文化の知識は持っていますが、ベトナム人としての文化も持ち続けています。日本人とは異なる視点や感覚を有していることがあるため、異文化を持つ社員同士のコミュニケーションの円滑化は大きな課題でした。

【安全・安心・安定を創るため起業】ITの先端技術で人を守り、国境を越えたつながりを生み出す

痛ましい事故のニュースをきっかけに起業。IT技術を生かして人々の安全や安心を守り、コミュニケーションの課題を越えて国と国がつながれる世界を目指します。

森さん マネジメントのご経験も経て、いよいよ起業ということですが、なぜ今の会社を立ち上げようと思われたのでしょうか?

トゥアンさん 2019年8月にベトナムで起こったスクールバス車中置き去り事故の話を聞き、痛ましい事故を繰り返さないために、自分が持つIT技術を生かして保育園や幼稚園向けのソリューションを作り始めたのが起業のきっかけです。

現在は主に三つの事業を展開しております。園児の出欠や食事をリアルタイムで把握できるなど、保育・幼稚園業務のDX化をサポートする管理パッケージシステムの開発・提供と、日本のシステム受託開発。そしてベトナム企業の日本進出や日本企業のベトナム進出を支援するコンサルティングをおこなっています。

森さん ご事業を通じてトゥアンさんが実現したい思いは、どのようなことでしょうか?

トゥアンさん 私が会社のメンバーと実現していきたいのは、ITの先端技術を使って国境を壊し、日本とベトナムをつないでいくことです。

これまでは、世界共通語の英語や相手の母国語ができないと外国人とコミュニケーションがとれませんでした。そこで私たちはITの力を使い、母国語で話す言葉を相手の国に合わせて翻訳し、コミュニケーションが取れるソリューションサービスを開発しました。

例えば、日本人が日本語で言葉を入力すると、ベトナム人はベトナム語で受け取れます。逆のパターンも可能なので、言語の壁があっても直接コミュニケーションがとれるのです。このソリューションサービスは、お客様からも大変評価していただいています。

【背中を押すメッセージ】あえてチャレンジする

森さん これから自分の夢を実現しようと考えている方々へ、背中を押すメッセージをお願いいたします。

トゥアンさん 「やったことがないことにも、あえてチャレンジしてください」というメッセージを贈ります。

今夢を持ち、アイデアがあるのでしたら、ぜひ実現のために行動してください。やってみないと課題もわかりません。実行して改善を繰り返していけば、きっとうまくいくと考えています。

『森清華のLife is the journey』
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