取り組み・活動

キャリア・生き方
2023年10月31日

エンジニアやIT企業の経営幹部を経て、ESGとダイバーシティ&インクルージョンの専門家へ

WOW WORLDがスポンサーを務める『森清華のLife is the journey』(かわさきエフエム)は、パーソナリティの森清華さんが、最前線で活躍されている企業経営者や各界のスペシャリストの“人生の分岐点”から、「これからのキャリア、生き方のヒント」を紐解いていくラジオ番組です。

今回はゲストに、一般社団法人EDAS(イーダス)理事長の田村拓さんをお迎えしました。NTTでエンジニアとして働いたのち、35歳で CSK(現・SCSK)へ転職。SDGsやESGの先駆けとなる取り組みに注力してキャリアを広げ、現在この分野のプロフェッショナルとして多くの企業を支援しながら、日本で働く外国人のサポートや、外国人を含むダイバーシティ&インクルージョンに関する活動 をおこなっています。57歳でEDASを設立する決断をした田村さんに、キャリアチェンジの考え方や、企業が社会貢献活動に取り組む意味を伺いました。

※『森清華のLife is the journey』は、かわさきエフエム(79.1MHz)にて毎週水曜日 午後9時~9時30分オンエア。このコーナーでは、その中から月に1本、当社が選定した回を一部抜粋してテキストでご紹介します。

【キャリアのスタート】エンジニアとして始まったキャリア。経営企画やDXなどの責任者を務める中で社会貢献事業に関わるように

NTTの新卒第一期生として入社し、ITの世界へ。35歳で転職し、経営企画などの職務を果たしながら、社会貢献活動も任されるようになります。

森さんー 数ある企業の中で、なぜNTTを選ばれたのでしょうか。

田村さん 元々ジャーナリストになりたくて、大学でメディア論を勉強していたときに「これからのメディアは一方向ではなく双方向になっていく」と知りました。当時はインターネットがなかった時代で、メディアといえば電話でした。そこで、電気通信事業を営んでいたNTTに入社しました。

森さんー NTTでは、どのような仕事をされていましたか?

田村さん 私は文系だったのですが、NTTには文系がエンジニアとしてキャリアを形成できるコースがありました。会社としてもエンジニアの育成に注力していたので、私も挑戦することにしました。

NTTではプログラマーからスタートしたのですが、プロジェクト進行の仕事に適性があったようで、マネジメント業務にも携わるようになりました。

森さんー 35歳でCSK(現・SCSK)に転職されたそうですね。

田村さん CSKの創業者である大川功氏に誘われ、転職を決意しました。CSKもNTTと同じIT企業でしたが、CSKではオーナーが会社を牽引していく点がNTTと異なっていました。

たとえば、NTTには秩序立てて昇進していく仕組みがありましたが、CSKでは仕事を任せられる人材だとオーナーに判断されると、社歴に関係なく大きな仕事の担当になることもありました。入社してすぐインドの会社と合併事業を立ち上げたり、その帰国直後にある会社の救済を命じられて空港から直行したり、という経験もあります。

森さんー その後、どのように社会貢献事業へ関わっていくのでしょうか。

田村さん CSKではエンジニアとしての仕事ではなく、経営企画セクションに配属されて責任者から役員になりました。20年 ほど働く中で、経営企画だけでなく周辺のコーポレートベンチャーキャピタルや、DXの責任者なども務めながら、社会貢献の分野も任されました。

従来 、企業は稼いだお金を社会に還元するというCSR(コーポレートソーシャルレスポンシビリティ)の考え方が主流でしたが、現在ではCSV(クリエイティングシェアドバリュー)という考えが中心となっています。CSVとは、企業が本業に取り組みつつ、それに即した形で社会課題を解決するための事業にも取り組む、ということです。

森さんー CSKにいらっしゃった時は、どのような取り組みをされていたのでしょうか。

田村さん MIT(マサチューセッツ工科大学)のメディアラボのスポンサーや、共同研究の仕事もさせてもらいました。中でも熱心に取り組んだのは、子どもたちが参加するワークショップ企画です。その成果は、最終的にCSKの本業にフィードバックされることとなりました。

このようにして、長い間組織の中でキャリアを重ねてきましたが、57歳になったタイミングで、ある人との出会いをきっかけに自身のライフワークを見つけ、一般社団法人EDASを設立することを決意します。


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