取り組み・活動

キャリア・生き方
2024年08月30日

新卒2年目で「情報」を扱う適職に出会う。読者目線でのリポート作成に努め、トップの道へ

WOW WORLDがスポンサーを務める『森清華のLife is the journey』(かわさきエフエム)は、パーソナリティの森清華さんが、最前線で活躍されている企業経営者や各界のスペシャリストの“人生の分岐点”から、「これからのキャリア、生き方のヒント」を紐解いていくラジオ番組です。

今回のゲストは、株式会社日本情報マート 代表取締役社長 松田泰敏さんです。同社は1991年の創業で、金融機関を通じて、中小企業経営に役立つ独自のビジネスコンテンツやリポートの作成・提供、メディア構築などの事業を展開しています。松田さんは親会社の株式会社トーカイに営業職で入社し、1年目に転職を決意しますが、会社から打診を受けてグループ企業の日本情報マートに異動。そこで自分に適した職と出会い、キャリアを積まれて、2011年からは代表として同社を指揮されています。そんな松田さんに、キャリアに対する考え方や思いを伺いました。

株式会社日本情報マート 代表取締役社長 松田泰敏さん

※『森清華のLife is the journey』は、かわさきエフエム(79.1MHz)にて毎週水曜日 午後9時~9時30分オンエア。このコーナーでは、その中から月に1本、当社が選定した回を一部抜粋してテキストでご紹介します。

【キャリアのスタート】医療介護用品レンタル大手に営業職で入社。2年目にグループの情報サービス会社に異動し、適職を得て仕事に邁進

大学では社会福祉学科に所属し福祉や介護を学んだ松田さん。迷うよりも直感に従って体が先に動くことが多い性格とのことで、就職活動でも自分のそうした感覚に従い、医療・介護用品レンタルなどを多角的に手掛ける株式会社トーカイに営業職希望で入社されます。

森さんー 実際に入社されてどのようなお仕事を担当されたのでしょうか?

松田さんー 配属されたのは、玄関マットやモップなど、チリ・ホコリを処理するダストコントロール用品のレンタルを行う事業部でした。毎日2トントラックで代理店やユーザー様の店舗を回り、商品の集配・交換業務を行っていました。

森さんー 現在とはまったく違う分野のお仕事をされていたのですね。現在のお仕事とはどのようにして出会われたのでしょうか?

松田さんー 営業職を希望して入社し、営業職の担当業務の一部である集配・交換業務に携わることになったわけですが、まもなく自分のなかで「もうちょっと違うことにチャレンジしたい」という気持ちが芽生えました。せっかく採用していただいたので1年間は勤めてから辞めようと決意し、夏か秋頃に、翌年3月末付の辞表を提出しました。すると人事部長から連絡があり、グループ会社の株式会社日本情報マートへの異動を打診されまして。色々と考えた結果、「行ってみよう」と決心しました。

森さんー 実際に新しい職場に移られて、どのような変化がありましたか?

松田さんー 当初はカルチャーショックの連続でした。まず、社員一人ひとりに自分用のパソコンがあり、それがすべてインターネットにつながっていて、いろいろな情報にアクセスできるという環境が驚きでした。異動したのは1997年で、まだ大半の企業は限られたICT環境で仕事をしていた時代です。当時の日本情報マートは今で言う「大企業発ベンチャー」のような位置づけで、やることにスピード感があり、社員一人ひとりが初めから当事者として事業にかかわることができるような新しいタイプの会社でした。そうした環境に自分がうまくフィットしたという感じです。

森さんー そのような先進的な環境のなかで、具体的にはどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

松田さんー 金融機関などから委託を受けて、中小企業経営者向けのビジネスリポートを作成する仕事です。インターネット上の情報や新聞、公的統計資料などを調べたり、電話や対面で関係各所への取材を行ったりして情報を収集し、リポートを作成していました。10年ほどで798件のリポートを担当しました。

森さんー そうしたたくさんの数のリポートを、どのような思いで作成していかれたのでしょうか?

松田さんー 当社のリポートやコンテンツは、読み手である中小企業経営者にとって価値のある情報でなければなりません。現在の当社ビジョンにもある通り、読み手への愛を忘れず、読み手の立場になって情報をまとめていく必要があります。一方で、こうした業務では作り手側の目線や都合で情報をまとめてしまおうとする傾向も生じがちです。そのため、読者目線でのリポート作成という原点に立ち返り、自分達が提供する情報は「中小企業経営者へのご提案書である」ということを常に心がけていました。そのように仕事に取り組む中でだんだんと昇進し、重要な意思決定にも携わるようになっていきました。

森さんー 今振り返ってみて、キャリアの分岐点といえばどのような場面でしょうか?

松田さんー 最も大きな分岐点は、2011年の代表取締役就任です。親会社トーカイの東証一部への市場替えに伴い、当時の日本情報マートのトップが親会社に移ることになり、代わって当時ナンバーツーの立場にいた私が代表に就任しました。リポート作成業務をこなすなか、だんだんと役職も上がり、就任前の数年間は経営幹部として重要な意思決定にも関わっていたのですが、代表就任により自ら先頭で意思決定を行う立場となり、それまでとは景色ががらりと変わりました。

異動先のグループ会社で情報を扱う事業に面白さを感じ、業務にやりがいをもって取り組み、ついには経営トップにまで上り詰めた松田さん。代表就任直後はリーマンショックや東日本大震災の影響で思わぬ苦境に立たされます。厳しい状況の中で決断し、荒波を乗り越え、その後も時代の変化に合わせて軸足を転換しながら積極的に事業を展開されていきます。


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