取り組み・活動

キャリア・生き方
2024年11月29日

総合商社でキャリアをスタート。偶然の出会いに導かれ、30歳で日本酒造りの世界へ転身

WOW WORLDがスポンサーを務める『森清華のLife is the journey』(かわさきエフエム)は、パーソナリティの森清華さんが、最前線で活躍されている企業経営者や各界のスペシャリストの“人生の分岐点”から、「これからのキャリア、生き方のヒント」を紐解いていくラジオ番組です。

今回のゲストは、株式会社白岩 Head of Operations(運営責任者)の小杉周平さんです。同社は日本酒ブランド「IWA」を醸造する酒造メーカーで、シャンパンの銘酒「ドン・ペリニョン」の最高醸造責任者を28年に渡って務めた人物が富山県立山町で設立。日本酒醸造の伝統にシャンパン製造のノウハウを組み込んだ新しいスタイルの日本酒で、海外市場を主眼に事業を展開しています。

小杉さんは総合商社・三井物産でキャリアをスタートされますが、あるプロジェクトで日本酒醸造の世界に触れたことがきっかけとなり、30歳にして酒造業界へと転身。総合商社での経験を活かし、販売やマーケティングなどの総合的な運営責任者として活躍されています。

そんな小杉さんに、キャリアに対する考え方や思いを伺いました。

※『森清華のLife is the journey』は、かわさきエフエム(79.1MHz)にて毎週水曜日 午後9時~9時30分オンエア。このコーナーでは、その中から月に1本、当社が選定した回を一部抜粋してテキストでご紹介します。

【キャリアのスタート】総合商社時代の海外研修で日本酒醸造の世界に出会う。感性を揺さぶられ、偶然の出会いも重なって酒造業界へ

大学時代は体育会テニス部の活動に熱心に取り組み、将来のキャリアについては漠然としたイメージしか持っていなかったという小杉さん。卒業後は三井物産に入社し、化学品を扱う部門に配属されてキャリアをスタートします。

森さんー 就職先に総合商社を選ばれたのは、どのような思いからでしょうか?

小杉さんー 父親の仕事の関係で海外に少し住んでいたことがあり、「将来は世界を股に掛けた仕事をしたい」という思いを漠然とながら抱いていました。総合商社であればそれが実現できるということもありましたが、決め手となったのは「人」です。たまたま三井物産にOBがいて、その方にOB訪問をさせていただいたのですが、お話からうかがえる働きぶりが非常に魅力的で、「この人と一緒に働きたい」と思い三井物産を第一志望にしました。総合商社という業種・業界を選んだというよりも、そこで働く人の魅力に導かれて三井物産という会社を選んだ、というのが本当のところです。

森さんー 商社時代には将来のキャリアについてどのようにお考えでしたか?

小杉さんー 海外に長く駐在して働くというキャリアをイメージしていました。分野としては、最初の配属先である化学品のような方面よりも、もっと消費者に近い分野、例えば食やファッションなどが自分に合っていると感じていました。

森さんー その後転職という決断にいたるわけですが、転職を考えるようになった最初のきっかけは何だったのでしょうか?

小杉さんー 海外研修で日本酒醸造の世界に出会ったことです。三井物産には若手を対象にした長期海外研修の制度があり、研修を経て戻ってくると部署を選び直せるという仕組みになっていました。当時はこれを利用して食かファッションの分野に移ろうと考え、「イタリアに行かせてほしい」と会社に志願しました。イタリアを選んだのは、食やファッションに関わりが深い土地であることに加え、個人的に昔からヨーロッパ文化が好きだったためです。ところが、会社からは韓国行きを命じられました。気乗りしないまま韓国に行き、キャリアについての不満や焦りを抱きながらも、仕事や文化・言語の吸収に励んでいたのですが、あるとき、韓国の米を使って日本酒を醸造するというプロジェクトに関わり、韓国から逆に新潟などの酒蔵に出張する機会がありました。そこで出会った日本酒醸造職人の方々は、「日本酒を飲まれる方に楽しんでいただければそれでいい」という思いで酒造りをしていて、日々数字を追いかけて働く商社の文化とはまったく違った世界がありました。この出会いに心を揺さぶられ、「こういう感性の世界で生きる人生はとても豊かだろう」と考えるようになりました。

韓国にいたのは今から7、8年前で、当時から日本国内では日本酒消費量が低下し続けていましたが、韓国では逆に需要が伸びていました。世界的にも輸出が拡大していたことから、「今後の日本酒業界は輸出拡大が鍵。商社というバックグラウンドを活かせば自分も日本酒業界に貢献できるのでは」という思いが芽生え、お酒を飲むと友人とそんな話をよくするようになりました。

森さんー そこから今の会社と出会うまでにはどのような経緯があったのでしょうか?

小杉さんー 韓国から日本に戻り、しばらくは食品分野に移って仕事をしていました。1年ほどたった頃に、私の日本酒の話を聞いて覚えていた友人から連絡があり、「ドン・ペリニョンで醸造の責任者をしていた人物が日本酒で起業し、今はフランス人の社長1人に事業を任せているが、オペレーションを回せる人物をもう1人探している」という話を持ちかけてくれました。友人の紹介で社長と会い、雑談のような形で色々と話をうかがったところ、自分の考えと共鳴する部分が多く、「既存の日本酒メーカーにはない風、経験、ネットワークを有するこの会社ならば業界の救世主ともなりうる」と感じました。そこですぐに転職を決意し、2週間後くらいには三井物産に辞表を提出しました。

大手商社に入社し、ゆくゆくは自分の感性に合った分野で海外駐在の仕事を、と考えていた小杉さん。韓国での海外研修を通して、自身の感性と深く共鳴する日本酒醸造の世界と出会い、偶然も手伝って、フランス人醸造家が興した日本酒メーカーに転職。住まいも東京から富山に移し、日本酒づくりをしたことのない国際色豊かなメンバーとともに酒蔵をいちから立ち上げ、異分野のバックグラウンドを武器に、未知の事業を推し進めていきます。

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